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山形ラーメンレポーター

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山形ラーメンレポーターと言う本を買った。紹介されている店の中には私に行った事があるある店がある。一応この本は信用して良さそうだ。但し,最近の出し入れまくりのこってりした味が好みならば止めた方が良いかもしれない。何故ならば紹介しているのは主に中華そばだからだ。中華そばにはこってりしたスープは不要だ。
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「自分自身が正しいとは限りません」

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「自分自身が正しいとは言っていません」
私も良く使う言葉だ。
ただ,これを人を傷つけても許される予防線にならないことだ。今まで人を傷つけてこなかったかと考えると顔が真っ赤になるくらい思い当たることがある。昔はそうは思わなかったことも今考えれば人を傷つけていたなあと思う。これからも傷つけることがあるだろう。我ながら全く成長が無いなあ。

コメントやトラックバックって群れる事?

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賛同のコメントやトラックバック送るのが群れる事,寄ってたかっていじめる事。外から見ると案外見苦しく見えるかもしれない。ところでそうする事は悪い事なのかという風に考えてみた。
別に誹謗しているわけではないのに揶揄していると思われる表現が全て使えないとするとそれも考え物だ。逆に揶揄した表現でないのに言われた人を傷つける場合がある。やせている(のを気にしている)人に「あなたはダイエットのしなくとも良くてうらやましい」と言われた場合,行った本人は理想の体系なので良いと考えているが,言われた人は痩せているのが嫌でしょうがないのだ。こういう場合嫌な思いをした人が不満を言えば良い。当事者同士で話し合えればそれで良い。傍から見物している人がどう捉えようとも関係ないという考えもありかもしれない。そのような考えからすると,少なくとも寄ってたかってに関しては楽しそうでいいですねと目をつぶることになる。群れているのを批判したければ自分のブログに一人で書いていれば良いとなる。ただ,日記に書かないで,インターネットのブログに書けば賛同なり批判なり感想なりの反応があるのは予想すべきだしそれが嫌なら日記帳に書くべきとなってしまう。

年を取るとこの若造が何を言っていると思うことは多くなるが,その前に,年月を重ねただけでしかない自分自身がいる事をすっかり忘れているのだ。

ニセ科学批判,批判批判がどうしたと最近にぎわっている。ダブルスタンダードなんて自分自身の内面向け,外向けで実際使い分けている。TPOなんてダブルスタンダードの典型だ。言いたい事を場合によって変えるのだ。したがって,ダブルスタンダード自体が悪い事でもない。(TPOの条件がある程度そろっている場合にだけ問題にされるのだろう)

ところで群れると言う言葉で連想されるのは孤高の人。おそらく生きていけるのは他人の存在があるからに違いないのであまり,孤高ばかり強調しても無意味かな。バランスの問題ですか。

ところでニセ科学批判の人たちが寄って集ってどうしたってどの事例だったかすっかり忘れている。もう一度復習するべ。

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