豊烈神社 古式打毬(山形市指定無形民俗文化財)

勝つぞ!!!
軽い!軽い!

ま・・負けた

<歴史>
豊烈神社に伝わる古式打毬は宮内庁,青森県八戸市の打毬と共にわが国に残る三つの打毬の一つです。打毬の起源は非常に古く紀元前六世紀古代オリエントのペルシャまでさかのぼり,西欧に伝わるものは”ポロ”となり,シルクロードを東進し唐を経て平安時代に伝えられたのがわが国の打毬の始まりです。現在行われている打毬は,享保年間(1716年〜1736年)八代将軍徳川吉宗によって復興されたものです。文政四年(1821年)十一代藩主水野忠邦公が,祖先忠元公(豊烈霊神)を祭る社を浜松城内に創建され,十月六日の命日を例祭日と定め神事として奉納され継承されてきました。その形式・方法ともに現在宮内庁に伝わるものと同形で「山形豊烈打毬」として毎年十月六日の大祭に披露され,平成四年九月二十五日に山形市指定無形民俗文化財に認定されました。

<競技>
紅白それぞれ四騎合計八騎(現在三騎づつ六騎),”水に沢瀉”の紋服・陣笠・袴・こてを付けた騎士によって競われます。毬奉行(表審判)と毬目付(裏審判)の日の丸軍扇の合図により太鼓・鐘が打ち鳴らされ試合が開始されます。騎士は,馬上より毬杖(さで)にて紅・白の毬を地上よりすくい上げ,紅(白)騎士は紅(白)毬を,毬門へ投げ合います。紅毬が入れば,白毬が入れば太鼓を打ち鳴らし,入った毬数の勝振摩(はた)が紅・白に分けて振られ,毬門の前にそれぞれ掲げられます。
毬門の大きさは,試合により大輪・中輪・小輪に変えられ,紅・白それぞれ毬五個入れたあとあげ毬一個(十文字の印付き,最後の決め毬となる)の合計六個を早く入れたほうが勝ちとなります。
競技終了後は,毬門前に向かい合って整列し双方一礼の後,負けたほうは陣笠を取り下馬し,勝った方は馬上のまま悠々と引き上げます。


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